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【5月3日/デュイスプルグ】
会場は多目的ホール。「昔の講堂の様な床で音響は良かった」とのこと。入りは9割、聴衆の反応も良く「我々がやるように、足でドンドンして表現していました」。(編集部)

 

【デュイスプルグ評】
スペインの恋の妖術メイド・イン・ジャパン
たとえスペインのアンダルシア国立管弦楽団でも、これ以上にカスタネットを燃え立たせ、鳴り響かせることは出来なかっただろう。当地でアジアの人が演奏しているという事に気づくには、もう少し目を凝らして見なければならなかった。招かれたのは日本フィルハーモニー交響楽団である。同楽団の演奏により第6回マイスターコンサートの聴衆は、マヌエル・デ・ファリャのバレエ音楽「三角帽子」に我を忘れ、文字通り拍手喝采となった。実際、正指揮者広上淳一は、すっかり同楽団を国際的水準のものに仲間入りさせたいと言って良い程、すばらしい演奏を聴かせた。手短に言えば、デ・ファリャの巧みに機知に富んだ音楽を聴き、一聴に値するその精巧さ、身を焼き尽くすようなその全身全霊の没頭、また音楽的アイロニーの込められた様々な趣向の演奏というものを体験した。その上、日本人が多くの場合のような抜粋した組曲だけではなく、そのバルエ全曲を音にしたという事で、この優れた演奏家たちに対する共感はますます強まった。べートーヴェンといえば、どの日本人にもほとんどヨーロッパの音楽文化でこれを上回るものは無いと思われている。当夜はべートーヴェンの第一交響曲で幕を開け、その演奏はオーケストラの隅々まで見事に磨きがかかり、選り抜きの演奏芸術を聴かせた。とはいえ、古典派の英雄なのかロマン派の英雄なのかという論争に独自に取り組むにしては、部分的に古い解釈モデルに導くあたりが邪魔になった。たとえばその演奏ぶりは、激昂して割り込むようなフォルテ部と、ほとんど甘ったるく撫でられるような叙情的な細部に分かれた。まさに依然としてステロタイプのベートーヴェン像が透けて見える作品提示なのである。
感動の嵐に引き続き、聴衆はラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」に夢中になった。亡くなった老巨匠S.チュルカスキーの代わりを、アンドレイ・ガヴリーロフがつとめ、かって鍵盤の驚異といわれたこのスターがたとえ前回のソロ公演で、ひょっとして内面的な相克でもはらんでいるのではないかという印象を残していたとしても、二つとない選択だったといって間遠いない。ガヴリーロフは、ラフマニノフが高く張ったその名人芸の領域で、自由奔放にその力を臆することなく出し切り、かなり回復してきているように。思われる。(後略)(ペドロ・オブラーラ/新ライン新聞)
写/松本克巳(ヴァイオリン)
現地評訳/宮澤昭男

 

 

 

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